石田衣良/約束
約束
石田 衣良「ヨウジそのものになりたい」
10歳のカンタが本気でそう願うほど憧れていた幼なじみの同級生が、ある日突然目の前で死んだ。
それ以来、カンタは「終わり」だけを見つめ続けていた。
そんなカンタの前に奇蹟が起きる…。
人生の喪失と再生を描いた短篇集。
表題作を含め7編を収録。
帯にも「絶対泣ける短篇集」って書いてあるし、何たって衣良さんの新作だし、ってことでスッゴイ期待しながら読み始めたのですが…あらら?
ちょっと空振りな感じでした。
期待しすぎてしまったかしら…。
文章は相変わらず非常に上手いです。
特に「約束」の冒頭カンタとヨウジがクラス対抗のドッヂボールをするシーンは、ほんの3ページほどの分量なのですが、その中に2人がどんな男の子で、お互いがどう思っているか、クラスの中でどんな存在か、そうした基本的な情報がギュッと凝縮された見事な文章でした。
それなのに、どの物語に対しても気持ちが上手く共鳴できなくて、ただ単に「ああ、そうなんだ」って感じで読んでも読んでも言葉が気持ちの上をスルスル滑って行ってしまう感覚がずぅっとありました。
何でかな~と考えてみたのですが、ふと気が付いたのは「笑い」の要素がない、と言うこと。
今回の作品は全編「死」とか「病気」と言った話なので基本がシリアスであることは仕方ないと思うのですが、今までの衣良さんの作品には哀しさを表現するときにもちょっとした笑いが練り混んであって、却ってそこに「笑いとの対比によって強調される哀しさ」と言ったものがあった気がするんですよね。
今回はそれがなくて、ただひたすら哀しさの表現が前面に出てしまっているので、それが作品の閉塞感に繋がってしまったような気がします。
それから「再生」のきっかけの出来事が一部の物語でちょっと非現実的な現象で表現されているのですが、これもどうなのかな、と。
私はこうした結末の物語よりも、「夕日へ続く道」や「ハートストーン」のように現実に目の前にいる登場人物が身をもって「生きろ」と告げる作品の方が好きでした。
特にこの2作は「おじさん(おじいさん)」の存在が切なくて、ちょっと泣けました。
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