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2005/07/06

「泣くって決めて観る映画」

今日会社帰りの電車の中で見かけた、『FRaU』 最新号の特集記事コピー。
何だかすごくインパクトがある言葉で思わず注目してしまった。

行動としてはどうかと思うけど…^^;

経験からいって、泣くって決めて観に行ったりすると案外泣けなかったりするんだよねえ。
これは「笑う」でも同じこと。
それは、そういう時って「泣く」(または「笑う」)の基準値が自分の中ですごく高く設定されてしまっているから、だと思う。
その基準値をクリアしてくれる作品ってなかなかないし、大体そういう見方って作品に対してもフェアじゃないように思うんだけれど。

本屋に行っても最近、帯とかPOPに「泣けます!」な~んて書いてあるものが多いけど、そういうのに限って 「どんなに感動的なんだろう」 とすごく期待してしまうのでその期待に内容が追いつかず結果的に何の引っかかりもなくスルスル読めてしまったりするんだよね(笑)
逆に何も期待しないで読んだ本に思いがけず号泣させられてしまうこと、ある。
最初の本についても何の事前情報もなく読んでいたら、そういう本として出会えたかも知れないのに…。

と言ってもそれは単に期待値が低かったから相対的に「面白い」と思えただけで、絶対値としてはどうなんだろう?という疑問も出てくる。

そうなると、本当に「面白い」「感動できる」作品って何?

いくら作品自体がよく出来ていたとしても、受け取る側の心の中に何らかの反応物質がなければそこには何も生まれないと思う。
「泣くこと」「笑うこと」「感動」「共感」「発見」…などなど、全ては自分の中にある何かと作品が反応して出てくる感情。
だから自分の中にいろんな要素を取り込んでおくことは多分必要。

でも、自分でも気づかないボタンって絶対あるんだよね。
自分でもそんなところにあると意識したことなかったのに、何かの拍子に「ポン」と押されると堰を切ったように感情が爆発しちゃうボタン。
「私ってこんなところがツボだったのね~!」みたいな。
それを発見させてくれるシチュエーションとか言葉とか映像とか関係とか…そういうものが一つでも入っていれば、それはその人にとって 「いい作品」になるんじゃないかな。

ちなみに『FRaU』は買ってないので、本誌に何が書いてあったかは判りません。
悪しからず^^;

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コメント

∥「どんなに感動的なんだろう」とすごく期待してしまう

他の方のレビューを見て読んでみてもそうでない場合もあるわけで(笑)、ま 自己責任?かな。
読み手のその時の精神状態によるかもしれませんね。

投稿: | 2005/07/07 09:27

この手の特集って読むのキライじゃないけど、どっちかと言うと、まだ観ぬ映画についてより自分がこう観た映画についての他人のレビューを読むのが面白いって言う感じかな。

ちなみにワタシはトラボルタの「フェノミナン」観ると泣けます。あと「I am Sam.」ヤラレタ。

投稿: ちるにー | 2005/07/07 09:54

■涼さん

>読み手のその時の精神状態

確かに。
何だか心が弱っていて、何にでも反応しちゃうときってありますね。
で、それは「泣ける作品」と頭にインプットされてるのに、あとで普通の時に読み返すと全く何の反応も出来なかったり(笑)

今は日本の社会全体が「感動」とか「泣ける」を求めているのかも知れませんね。

投稿: tako | 2005/07/07 22:08

■ちるにーさん

コメントありがとうございます(^^)

>自分がこう観た映画についての他人のレビューを読むのが面白い

判ります。
「あ、あそこをそう観るか!」とか「え?そんな意味があったの?」とか。
特に私はあまり映画を観ない方なので、そんな私でも知っている作品が取り上げられているとちょっと嬉しいですね。

ちなみに「フェノミナン」も「I am Sam」も未見です^^;
機会があったら観てみますね~。

投稿: tako | 2005/07/07 22:16

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