放送直後は随分取り上げられていたものの最近は終息した感のある話題、「ブログマダム」
(毎日長時間かけてブログに記事を書き込む主婦を指すらしい)という人々のことを取り上げていた情報番組を私もちょっとだけ見た。
「何か面白い番組ないかな~」とチャンネルを替えているときにたまたまその画面に行き当たって、
しかも何人か紹介されたうちの1人分を見ただけでまたチャンネルを切り替えてしまったので、
全体的にどんな論調で何を目的にした特集だったのかはよく判らない。
(その後気になってそれについて書いてあるブログをあちこち覗いたので、大体の概要は理解したけど。)
ただ、そのわずかな時間の中でも「え?それって大丈夫?」ということがあって、私には「ブログマダム」
なんていうネーミングよりもそっちの方がずっと注目だった。
その彼女はエントリーにコメントが入ると携帯に連絡が来る設定にしてあるとのことで、その取材中にも携帯が鳴って「あ、
コメントが来た」と早速画面をチェックする場面があった。
TVで判りやすくするためだと思うが、彼女がそのコメントを読み上げる。
その内容が「私も○○公園にはよく行きます」(○○には具体的な地名が入る)…。
え?ってことは、記事にもその公園の名前をちゃんと書いてあるってこと?
ブログに近所の公園の名前をそのまま書き込んじゃうなんて勇気あるなあ…と驚いたのも束の間、更にビックリすることが!
彼女のPCの画面に写っているそのブログの画面には、その公園と思しき場所で遊ぶ彼女の子どもの写真が思いっきり載っていたのだ。
「これはマズイのでは…」と思っていた通り、(自分で確認したわけではないが)
彼女のブログにはその夜のうちにコメントが大量に書き込まれ結果的に閉鎖を余儀なくされたと聞く。
ブログ上に近所の公園の名前を書く+そこで遊んでいる子どもの顔も写った写真を載せる→不用意に第三者に自分の子どもを特定できるようにしてしまう、
という図式が彼女の中にちゃんとあったのだろうか。
これだけ「個人情報」について過敏になっている状況のなかで、自分から子どもの情報を「はい、どうぞ」
と世界中の誰もが閲覧できるWeb上に流すというのはかなり無謀なことだと思うのだけれど。
しかもそれをTVでそのまま放送させてしまうというのは…ちょっと信じられない。
確かに自分の子どもの可愛い写真を見てもらいたいという欲求はあるのだろうし、それを通じて誰かと知り合いたい、
出来れば直接会って交流出来るようになればもっと嬉しい、ってことなんだと思う。
でも、Webというのは自分が見て欲しい人だけが見ているわけではないのだ。
それでもそれまでは小さなコミュニティの中で多分彼女が望んでいたものに近い交流が出来ていたのではないかと思う。
それが今回のTV出演によって彼女が望んでいない人々にもその存在を知られてしまった。
しかもその様子は「一日100枚以上子どもの写真を撮ってそれを選ぶのに何時間も掛ける」「その間夫は一人で時間を潰して先に寝てしまう」
「記事を書き終わるのが朝の四時になることもある」など、その人の勝手かもしれないけど端で聞いていたら「何?ソレ?」
と思わずツッコミを入れたくなるような生活ぶり。
しかも、そのブログには自分の子どもの写真がや個人情報に関わる内容がそのまま載っている…これに食いついて来ないはずがない。
彼女が何を思ってTV出演を承諾したのかは判らないけれど、こういう結果が待っていることは予想していなかったのだろう。
「これでアクセスが増えてお友だちも増えて…」との考えだったのでは。
でも、彼女に待っていたのは予想外、というか最悪の結果だった。
いきなり自分が大切に育ててきたブログに大量のコメントが入り始める。
それは彼女が期待した同じ趣味、環境の人たちからの励ましや同意ではなく、批判のコメントだった。
しかもその全てが彼女をやさしく諭すような思いやりにあふれたものであったとは想像し難い。
中には意味もなく騒ぎに乗した悪意だけのコメントも数多くあっただろう。
彼女の受けたショックは大きかっただろうと思う。
そういう意味では彼女は被害者なのかも知れない。
(おそらく彼女の中では被害者の意識しかないであろう)
でも、同時にそれを引き寄せてしまったのは他ならぬ彼女自身であったのも間違いない。
ブログ(Web)に情報を発信することはそうした危険を伴う、ということはちょっと調べれば(いや、考えれば)判ることなのだから。
ブログの写真を選んだり記事を書いたりする何時間のうちのほんの少しの時間を「Webの危険性」
について考えることに割いていればこんなことにはならなかったのでは、と思う。
自分の発信だけで満足してしまうのではなく、他者が発信しているものを広いアンテナで受信するすることもまたWebの楽しみであり、
必要なことであると思うんだけどな…。
Webは便利で今や生活の中になくてはならないものだけれど、便利な分危険もたくさんあるというのも事実。
今はブログの登場で殆ど何の知識がなくても、自分の考えや作品を発表することが出来てしまう。
でもそうやって一度Web上にアップした情報は誰が見ているか判らないし、
しかも書いたものが長い間Web上に残り場合によっては自分が意図しない形に加工され利用される危険性も有しているということを意識している人はもしかしたらとても少ないのかも。
(私自身、本当の危険性を認識しているとは言えないだろうし)
ブログのサービス提供者はブログのメリットだけを取り上げてデメリットについては表だって明記しようとはしないけれど、
プラスの裏側にはマイナスの要素があることは当然で、想像出来ないことではない。
私は幸いなことにWebでそんなにイヤな、怖い思いをしたことはないけれど、それでも文章を書くときはちょっと緊張する。
特にブログはその検索性のあまりの良さが素晴らしい特徴であると同時に、却って脅威だったりもする。
(時々「こんな単語で検索する人いるんだ?!」というキーワードでのアクセスがあって驚く。人の興味というのは多種多様で想像することも出来ない。
しかも自分で何気なく書いた記事が検索結果のかなり上位に来てしまうのもちょっと怖い)
間違った情報を書いていないか、誰かを(結果的に)誹謗していないか、常識から外れた内容になっていないか、
個人が特定できるような内容が含まれていないか…などなどを気にして何度も推敲した上でアップしている。
とは言えあまりにも気にしすぎて何の主張もない文章になってしまってもツマラナイし書く意味がないので、
どの辺りに自分の基準を設けるのかが難しいところなのだけれど。
でも、こうした怖さというのは特にWeb上、ブログ上にだけあるわけでなく、(種類は違うけど)
普通に暮らす日常の中にも同様に存在するものだとも言える。
普通の生活の中でやってはいけないことは(よほどの覚悟がない限り)たとえ匿名を名乗るWeb上でもやるべきではないのは当たり前。
頭の隅にその危険性を忘れずに置きつつ注意して普通の市民的ブログをやっている限りはそう簡単に落とし穴にはまることはない、と思う。
取り上げた番組も、ブームに乗って何か(誰か)をおもしろおかしくカテゴライズしネーミングするだけでなく、
そのものの有用性と危険性もきちんとレポートするような内容であって欲しかった。
出来れば今日の放送で後追いレポートをして欲しいところだけど…ま、多分無理だろうね。
ブログを閉鎖してしまった彼女は今、何を思っているのだろうか。
自分を誰かに認めて欲しくて始めたブログに手痛いしっぺ返しをされてしまったわけだから、
かなりダメージを受けているだろうことは想像に難くない。
でも、いいように考えれば、あのまま当然のように子どもの写真をさらし続けてある日突然思いもかけなかった事態に発展する、というようなシナリオがなくなっただけでも「ヨシ」とするべきなのかも。
出来ればこれを機にきちんと危険性も理解した上で再度ブログに戻ってもらいたいものだけど…そんなに簡単な話ではないかな。
最近話題になっている、こうしたブログの中の危険性について書かれたデジタルARENAの連載コラム「ブログで自滅する人々」
(第一回 /
第二回 / 第三回 / 第四回 / 第五回 / 第六回)
。
読み応えがあり興味深いテキストなのでご一読頂きたい。
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