「『いただきます』って言ってますか?」について考える
「はてブ」の『人気エントリー』
を見ていたら面白い記事を発見。
■
考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争(「MSN毎日インタラクティブ」より)
TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半~、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。番組でのやり取りを参考に、改めて「いただきます」を考える。
この記事について「世も末だ」という意見もけっこうあったけど、そういう意見が多くあることこそが「まだまだ大丈夫」な証拠だと私は思うので、その辺のところには言及しない。
私がこれを読んで思ったのは、「人との関わりのなかで『言葉』をケチるのは逆に損でしかないのでは?」ってこと。
家庭内でのしつけやマナーってのは、その家庭独自のものがあると思うので「こうじゃなければならない」とか「こうするべきだ」ってのは多分ないんだと思う。
でも、だからといってそれぞれの家庭ごとに全くオリジナルな考えでいいということではなくて、自分の家の外に出て他者と触れあうときにその自分(の家族)以外の人ともうまくコミュニケートしていくために必要な考え方や行動もまた教えなければならない。
自分の家の習慣とか風習を守る上で必要な独自のものと、他者とコミュニケートする上で必要で社会通念上当たり前なことが並列で存在しているべきなのではないかと思う。
で、食事の前に「いただきます」と言う、なんていうのは、後者の部分に入るんじゃ
ないのかな、と私は思っている。
私の親はあまりあいさつについて厳しいほうではなかったので、実は私はあいさつするのがけっこう苦手だし
「出来ればしないですませたいな~」というサボリ心をいつも持っていたりする(笑)
だから食事のときの「いただきます」も、言わないことのほうが多いかも。
少なくとも自分で作って食べるときにしても、外食のときも一人のときは殆ど言ってない。
でも、誰かと一緒に食べるとき、特に作ってくれた人が傍にいるときは必ず言う。
それから一人で外食したときも、お会計のときに「ごちそうさま」は(ほぼ)忘れない。
それは、(もしかしたら心の奥のほうにはあるかもしれないけど)「食べ物や作ってくれた人への感謝」とかっていうよりも、その一緒にいる相手への最低限の礼儀だと思うから。
だってそのほうがお互いに気持ちいいじゃない?
あいさつというのは全てこの「一緒にいるひとへの気持ち」の問題じゃないのかな。
で、人っていうのはお金じゃなくてこういう「気持ち」で動かされてしまうこともけっこう多い、と思う。
さっきは「しないで済ませたい」って書いたけど、実際は人と一緒にいると「お疲れさま」とか「寒い中ご苦労様」とか 「どうもありがとう」とか「ごめんね」とか「よろしく」とか…かなりマメにこういう言葉を使っていたりする。
もちろん会社なんかだったら用件さえ言えば話は通じるわけだけど、それでも相手はやっぱり「人」だからそれだけじゃダメでしょ。
PCに出力指示かけるときに「おねがいします」って打たないとやってくれないってなったら「何だよ、それ!」って思うけど(笑)、誰かに何か頼むときに「悪いけどよろしくね」って言うのは多分それがコミュニケーションを保つための最低限のマナーだろうと思うし、何よりそうしたほうが<自分が>楽だし、気分がいいから。
で、自分が気分がいいんだから、多分言われた方も多少はそう思ってくれてるんじゃないのかな~、という希望的観測(笑)
実際自分も一方的に用件を言われたときは言われたことしかやらないけど、何かひとことねぎらいの言葉とかかけて貰えると気分よく仕事出来るし、自分に出来る範囲だったら要求されてないこともプラスしてやっておいてあげようかな、と思うことが多い。
逆に私のほうも「ごめんね」とか「どうもありがとう」とか言いつつ、どんどん無理をきいてもらってることけっこうあるし(笑)
更に。
世の中にはお金で換算できないものってたくさんあって、「言葉」もその中の一つで、かつ一番身近なものだと思う。
まあ、例えば「信じられないほどお金がやり取りされる状況」なんかではもしかしたら違うのかも知れないけど…
でも大抵の人はどちらかというと私よりのほうに所属してるだろうし、多分この話題の家族だってそうだと思う。
だとしたら、そんな「給食費払ってるから「いただきます」は言わない」なんてケチくさいこと言うのって、却って損してると思うんだけどな。
いやらしい話、「お金払ってるんだから、(サービスに対して)お礼をいう必要ない」って考える人にはその払った金額分のサービスしかないけど、サービスに対して「ありがとう」っていえる人にはそのサービス以上の付加価値が付いてくる可能性ってそんなに低くないと思うんだよね。
つまり、お金払わなくてもよりよいサービスを受ける確率が増える、ってこと。
(もちろん「絶対」ではないけどね)
このほうが「お金払ってるんだから…」なんていって言葉をケチるよりも、ずっと効果的・経済的(だって言葉はタダだし)な考え方だし、もしその時に実際的な見返りがないとしてもその評価は上がることはあっても下がりはしないでしょ。
つまり、「言葉をケチることで得することは何もない」、と私は思うんだけど。
人は言葉によって、けっこう簡単に人を傷つけられるし、逆に勇気づけられたり、慰められたり、やる気が出たり、する。
つまりそれだけ「言葉」の持つパワーは大きい。
それなのに、言葉ってお金掛からないじゃない?
だから、人は言葉をもっと巧く使うべきだと思う。
もちろん、損得ばっかりを計算して言葉を使ってるとすぐ底が見えちゃうから、使い方にもセンスや知識や何より基本的に相手への尊敬や思いやりが(多少でも)必要ではあるけれど。
あとね、人に感謝するとか気遣えるのって、自分に余裕がないと出来ないことだと思うんだよね。
私もイライラしていたり、落ち込んでたりすると、周りに無関心になってなかなか言葉も出なくなるし。
だから、そうした言葉を口にするのは「自分はまだ余力があるよ」「安定してるよ」っていう自分の優位性の他者へのアピール、
または自己確認の意味もあると思う。
まあ、どんな考え方をするのもその人の勝手だし、こと『「いただきます」を言うか言わないか』なんて問題は他人には関係なくて、ただひたすら本人へ跳ね返ってくる評価が悪くなるだけの話なのでどうでもいいんだけど、功利的な考え方をしているようでいて実は一番損しているこのお母さんにはもう少し楽に生きる方法を学んで欲しいと思ったのでした。
何より、自分でそう考えてそう信じているお母さんはともかく、それに影響を受けてしまうお嬢さんが可哀想だと思う。
そのくらい自分で選ばせてあげて下さい。
しかし「給食費」と「いただきます」が関係するなんて考え、よく思いつくな~。
その既成概念にとらわれない発想力はスゴイかも…^^;
そうそう、「『いただきます』が聞こえたらデザート無料サービス』の永さんのお友だちのお店の話なんだけど、「そんなにいません」っていうのは「いただきます」を言う人が少ないというより外食するときにお店の人に聞こえるくらい大きな声で言う人はそんなにいないってことなのでは。
外では声に出さないけど口だけで言ってる、とか心の中で言ってるって人、多いと思うけどな。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 奇跡のクラーク・コレクション展@三菱一号館美術館(2013.03.09)
- 映画:レ・ミゼラブル(2013.02.11)
- 白隠展@Bunkamuraザ・ミュージアム(2013.02.09)
- 新春浅草歌舞伎@浅草公会堂(2013.01.20)
- 「博物館に初もうで」展~初詣~「あっぱれ北斎!光の王国」展(2013.01.06)
コメント
こんばんは、
∥『言葉』をケチるのは逆に損でしかないのでは?
言葉って、使い方によっては相手を傷つけもするし難しい面もありますね。
でも、冗舌である必要はないけれど、せっかく言葉を使えるのだから、その場にいる人たちが気持ちよく過ごせる言葉の使い方が出来たらいいなと思います。
トラックバックさせていただきました。
投稿: 涼 | 2006/01/24 17:49