光原百合/時計を忘れて森へいこう
時計を忘れて森へいこう
光原 百合
内容(「BOOK」データベースより)
同級生の謎めいた言葉に翻弄され、 担任教師の不可解な態度に胸を痛める翠は、憂いを抱いて清海の森を訪れる。さわやかな風が渡るここには、 心の機微を自然のままに見て取る森の護り人が住んでいる。一連の話を材料にその人が丁寧に織りあげた物語を聞いていると、 頭上の黒雲にくっきり切れ目が入ったように感じられた。その向こうには、哀しくなるほど美しい青空が覗いていた…。
以前から「噂」だけは聞いていた光原さんのデビュー作が文庫になっていたので早速買って読んでみた。
いわゆる「日常の謎」系のミステリー。
清海(きよみ)という自然に恵まれた田舎の町の、またその中の「シーク」という環境団体が管理する森で職員をする護(まもる)
と彼に好意を寄せる高校生・翠(みどり)の周辺に起こる少し悲しく、そして不思議な謎を扱った3つの物語。
とても読みやすかった。
護や翠たち登場人物についても、シークの森を中心とする自然についても、そして「謎」についての記述も、
穏やかでゆったりとした筆致で丁寧に描かれていて、全てが違和感なくその世界に存在している、という印象を持った。
確かに「甘すぎる」という気配はあるものの、この設定、登場人物だったら、こういう作品であってもいい、というか「あるべきだ」と思う。
何しろ、表紙からこのイラストなんだから、ね。
(でも、このイラストの少女は私の「翠」のイメージとはちょっと違うな)
だから、基本的には私はこの作品が好き。
ただ、私が気になったのは、この穏やかな物語の全てに「死」が出てくること。
それは原因のハッキリした事故や病気といったものから来るものであり、それ自体に事件性があるわけではない。
だから、一般的な(?)ミステリーのような「連続殺人事件」という話ではないし、物語のストーリーの上でこの「死」
が重要な役割を果たしていることも判る。
でも、やはり一つの物語の中に一つずつ「死」が配置されている、というのはちょっと多すぎると思う。
特にこの中で扱われるのは、「殆ど面識がない人」の死ではなく、愛する人(肉親や恋人)の死であるから尚更。
物語の中ではその死により揺さぶられ、バランスを崩した登場人物たちから、「後悔」や「疑問」「真実」を導き出して解決し、
安定した日常に戻っていく、という流れになっていく。
その死についての描写にはきちんと敬意が払われているし、それ自体が物語の中で重要な意味を持っている。
謎に行き着くまでの流れも非常に穏やかで、また説得力があり、その「死」
を乗り越えることによって成長した登場人物たちが描かれて終わっており、最後に柔らかで爽やかな読後感が残る。
多分物語としては成功なのだろう。
また「死」というものは、そんなにも日常からかけ離れた事象ではないということも言いたいのかもしれない。
でも私は、それぞれの物語に全て「死」がからんでいるのを読んで、「死が誰かが成長するための『道具』として使われている」
ように思えてしまったのだ。
人の死は誰かに何かを教えるためののものではないと思う。
(結果的にそうなることはあるかもしれないけれど、それは決して「前提」ではない)
この物語では、「死」は大切で重要なものとして扱われているけれど、だからこそ3つの物語全てが「死」
に絡んだ物語であることに少し違和感を感じた。
3つのうち、少なくとも最初の物語はその人物を死なせなくても成立したのではないかと思うのだけれど、どうだろう。
でも、デビュー作でこのクオリティの作品が書けるというのは素晴らしい才能であることは確か。
文庫版になって価格もお手ごろになったので未読だったら読んでみても損はない、と思う。
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