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2008/03/08

あさのあつこ/夜叉桜

夜叉桜
夜叉桜

出版社からのコメント
「弱えほうが、ようござんすよ」

話題作『弥勒の月』から一年半。
深まる謎。生きる狂おしさと生きる者への慈しみ。
少年たちの成長を描いた『バッテリー』のあさのあつこが、
「生きる苦み」を知ってしまった大人たちに満を持して放つ、胸を裂く物語。

『弥勒の月』の続編。
続きであっても出てくるのは信次郎と伊佐治だけで新しい事件を追っていく作品になるのかと思っていたら、遠野屋もしっかり出てきたのでちょっとビックリ。

で、感想はというと…ちょっと微妙。

前作同様、信次郎、伊佐治、遠野屋のキャラクター設定と、心理描写は素晴らしかった。
それぞれの男達の心に巣食う苛立ち、歪み、迷い、諦め、希望、祈り・・・といった様々な感情が、色んな角度から光を当てられ露わになっていく。
この3人の言動、気持ちの描写だけでグイグイ引き込まれて面白く読んだ。

でも、連続女郎殺しの犯人を探す推理小説として読むと、こちらも前作同様、犯人の設定と結末が気に入らない。
さんざん情報だけを積み重ねて盛り上げた挙句、終盤になって全く圏外だった人物がポンと出てきて「実はこういう事情があって…」って説明されても・・・。
事件の部分もキャラクターの作り方やエピソードの積み上げ方はすごく巧いのでどんどん読めてしまうんだけど、それと後半の謎解きがうまくリンクしていないので「これが犯人です」って言われても何だか納得出来ない。
殺人事件が起きて犯人を探してっていう内容を盛り込むのであればやっぱりそれに対応して伏線を張ったり、怪しい人物にはちゃんと「怪しいよ」って旗を立てておくといったこともして欲しいと思ってしまう。
それともこれは「推理(捕り物)小説」ではないのだろうか?

この作品で今は藩の重職となっている腹違いの兄と遠野屋が再会し、重要な駆け引きをする場面がある。
この駆け引きはこの中では決着を見ずに終わっており、次回作への布石が打たれている。
次の作品はこの3人の物語だけで事件はなくてもいいんじゃないの?とも思うけど、信次郎、伊佐治が与力と下っぴきであり、遠野屋もそのキャラクターから「人の死」と無縁でいられない設定であればそれも難しいんだろうな。
それであるならばその事件自体にも説得力がある作品であってほしい。
今のままの書き方では、何人も殺されていく犠牲者たちは遠野屋のキャラクターを説明するための小道具でしかないように思えてしまうから。
それは多分、遠野屋にとっても不本意なことなんじゃないのかな。


弥勒の月 (文芸)
弥勒の月 (文芸)
こちらの作品の感想もよかったらどうぞ。
あさのあつこ/弥勒の月

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