転換期~「選択する」ということ
私は「何かを選択する」ことがとても苦手である。
もちろん日常の中では、「今日着て行く服」とか「この仕事を今日やるか、明日に回すか」とか「この本を買うかどうか」とか「今夜何を食べるか」とか、さまざまな選択肢から何かを選ぶことは出来る。
(それが出来ないと生活がかなり大変そうだ…^^;)
でも、そういう日常的な「どっちを取ってもそんなに大差ない」選択ではなく、こと人生を左右するような選択についてはこれまで出来るだけ「しないように、しないように」生きてきてしまったように思う。
私の数十年の人生の中でも、それなりに大きな環境の変化や大切な人との出会いや別れがあったけれど、思い返してみるとそれが私が選択した結果であったことはそんなにないような気がする。
殆どの場合、周囲の動きに合わせて「じゃあ、あなたはこっちね」と割り振られるまま、相手に請われるまま自分をそこに動かしてその場に馴染ませて来た、という気がする。
自他共に認める「面倒くさがり」の私はこんなことも「面倒くさい」と思ってしまうのだ。
それってヒトとしてどうなのよ…という感じである。
(でも、そうやって人に割り振られたことでも、それで納得したのは自分だから、という意識はあるのでその結果が自分にとって不本意だったとしても、相手のせいにはしない、というくらいの矜持はある)
更にこれは「捨てることが出来ない」ということにも共通することかもしれない。
その内容が重要であればあるだけ、そのうちのどちらを捨てるか決めることを出来るだけしたくないと思ってしまうのだ。
(「選択すること」を『どちらかを得る』じゃなく、『どちらかを捨てる』と考えるあたりが私の性格を物語っているなあ…^^;)
そんな私に、降ってわいたように大きな選択が突きつけられたのはつい昨日のこと。
その前日まではそんなことが自分の身に起こるとはこれっぽっちも考えていなかったので、本当にビックリした。
その内容が自分の中で消化出来ず、実際に気持ち悪くなってしまったくらいの精神的ダメージだった。
(詳細を書くといろいろと障りがあるので曖昧でごめんなさい)
今まで大抵のことは、自分で決められないでいると誰かが適当に決めてくれたり、いつのまにかウヤムヤになったりしていたものだけど、今回のこの件ばかりはそうもいきそうにない。
2つのうちどちらかを自分で選んで、しかるべき時期までに回答をしなければならない。
そしてそれはどちらを選んだとしても、私のこれからの人生にとって大きな選択になるだろう。
今まで自分で考えて決める、ということを避けて来てしまった分、そうしたことに耐性がない自分がかなり不安ではあるけれど、これからのまだ短くはない(と思われる)人生の中で出来るだけ後悔をしないためにも、充分考えて答えを出したいと思う。
この件について家族に報告したところ、両親も弟も揃って
「どっちを選んでも応援するから、自分が好きな方を選べばいいよ」
と言ってくれた。
有り難いな~…と思う反面、「こっちにしろ!」って決めてくれたらもっと楽なのに…とちょっと思った自分が情けない(泣)
しっかりしろ!>自分
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コメント
コメントするの久しぶりです。
これだけ客観的に自己分析ができるのを知っていれば、
周りは「本人におまかせ」しちゃうでしょうね〜。
それもプレッシャーかもしれないですけど。
選択する余地があるのならば(ない場合だってある!)、
その選択がtakoさんにとってよりよい今後に繋がることを願ってます。
投稿: sumi | 2008/06/04 13:13
■sumiさん、
こんにちは。ご無沙汰しています。
>これだけ客観的に自己分析ができる
いや~、私の場合、単に判りやすく伝えるのが巧いだけ、って気がします。
分析できてその結果を活かせる…ならいいんですけどね…。
選択の余地がない場合…そうですね。
そう考えると「どちらにするか」悩めるというのは確かに恵まれているのかも。
慣れていないので既にかなり体力・気力を使っていてクラクラなのですが、自分のことなので頑張って真剣に悩んでみます。
応援ありがとうございました[ハート]
※お子さん、大きくなったでしょうね。
※育児と家事とお仕事、大変でしょうけどお身体に注意して頑張って下さいね[♪]
投稿: tako | 2008/06/04 23:07