澤康臣/英国式事件報道 なぜ実名にこだわるのか
内容(「BOOK」データベースより)
殺人事件では被害者の経歴を詳細に書き、容疑者は逮捕前から顔写真を掲載、ただの乱痴気パーティを長文で報じるイギリスの新聞。下世話?野次馬根性?残酷好き?しかし、日本人記者が見た報道の現場には、「ジャーナリストの役割」に対する確固たる認識があった。
現職のジャーナリストである著者が大学の研究員としてイギリスに滞在していた時に、実際に関係者にインタビューした内容を元に書かれた本。
報道関係者はもとより、警察や被害者の支援団体などいろいろな立場からの意見を取り上げてあるので一定の説得力はあると思う。
ただ、「もしも自分が報道される側になったら」と考えると、著者やインタビュー相手の報道関係者の言う「表現の自由」や「事件ではなく人間を書きたい」という理屈はなんとなく自分のやっていることの正当化、言い訳に聞こえてしまって素直に納得できない部分があった。
特に現在のようにインターネットの普及でメディア関係者でなくても実に容易に、無自覚に情報を拡散できるツールを一般市民が手に入れてしまった現在においては、それ以前とは情報の扱われ方が一変しているはず。
報道するメリットというのも理解はできるけれど、一度表に出たらそれこそ永久に地球上に漂い続け、いつでも誰でも簡単に検索出来てしまう現在のシステムを考えたら、記事にされる側にとってはそんなに簡単な問題ではないよね。
記者や警察は事件が終わったら終わりかもしれないけど、事件の直接の関係者(特に被害者)は一生それと付き合っていかなくちゃならないわけだから。
たしかにその先まで考えていたら記事なんて書けないのかもしれないけど、そのあたりにももっと踏み込んで欲しかったな。
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