畠中恵/ゆんでめて
内容(「BOOK」データベースより)
身体は弱いが知恵に溢れる若だんなの、史上最大の後悔。ズレてはいるけど頼りになる妖たちも、今度ばかりは、助けられない?「しゃばけ」シリーズ第九弾。
分家して小間物屋を開いた腹違いの兄夫婦に子どもが出来たというのでお祝いに駆けつけようとした若だんな一行。
その途中の脇道で偶然人ならぬものに出会ってしまい、その後を追いかけて本来なら「ゆんで」(弓手=左手)に曲がるところを「めて」(馬手=右手)に行ってしまったために起きる様々な事件とその結末の物語。
「しゃばけ」シリーズ第9弾。
表題作他「こいやこい」「花の下にて合戦したる」「雨の日の客」「始まりの日」の5編を収録。
このシリーズ、ほぼ全部読んでいるし、決して嫌いではないんだけど、何故か「う~ん…?」と思ってしまうことが多い。
物語の展開とか、言葉の選び方とかがすんなり頭に入ってこなくていちいち引っかかる感じ。
いつも気になるのは一太郎が会話中で自分のことを「われ」っていうところ。
そういう言葉があるのは知っているし、多分その時代の一太郎のような境遇の人物が使うのに適した言葉ではあるから使っているのだとは思うのだけれど、個人的な感覚ではどうも違和感があって。
単純に「私」でいいんじゃないの?とか思ってしまう。
(実際に「私」が使われているところもあるし)
あと、今回の話で行くと、まず冒頭に左に行くところを思わず右に行ってしまった若だんなの記述があって、そこから4年経ったところから話が始まる。
で1話ごとに3年後、2年後と時間が遡って最後にその当日の話が語られる…という構成なんだけど、最後の話がちょっと長いように感じた。
設定がゴチャゴチャしすぎてるし、読後感もあまりよくなくて、なんとなく無理にお話を作ってるという感じに読めてしまった。
あそこは最初と最後の部分だけでスッキリまとめたほうがよかったように思う。
ただ、最初からちょっとしんみりした感じで始まって途中の花見のところでは、今までの登場人物があちこちからやってきて一堂に会したりしていたので、一瞬「え?これで最後なの?」と思ってちょっと焦ったのも事実。
なんだかんだ言いつつ、やっぱり終わってしまうのはさみしいんだな(笑)
と言っても、もうシリーズ開始から何年も経って若だんなもそれなりに年を重ねてきているわけだから、このまま病弱で10歩歩いたら倒れるキャラのままではやっぱり無理が出てくるんじゃないかなあ。
毎回毎回病弱話ばっかりにページが割かれているのはちょっとわずらわしいし、これからの話の展開(嫁取りや長崎屋の跡継ぎ)にも障りがあるでしょう。
もうちょっと、せめて「町内は出歩けるけど、無理をすると寝こむ」くらいには元気になってもらいたいな。
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